病院長退任のご挨拶
更新日: 2026年3月24日
病院長退任のご挨拶
私は2010年4月に、金沢大学心肺総合外科(旧第1外科)の渡辺 剛教授の命令で、この北陸中央病院に赴任して来ました。当時の北中病院長であった宮元 進先生が、金沢大学第1外科に、北中に外科の強力な助っ人を送って欲しいという要望を出されていたのですが、その要望に対する第1外科の対応策として、私を北中に送り込むという事で成立した人事でした。第1外科の医局の人事の草案は、当時の医局長であった松本 勲先生(現金沢大学呼吸器外科教授)が考えた案であり、松本先生が医局長で無ければ、私の北中行きは無かった人事です。
2010年にKKR北陸病院から、この北中の医務局長として赴任した時は、病院創立以来50数年間、一度も経常収支で黒字を出した事がなく、存亡の危機とも言える状態でした。特に私が赴任する前の2009年度には単年度赤字額が約4億3,702万円に達していました。7:1の看護基準を満たすだけの看護師の確保が難しく、1病棟を閉鎖していた事などが原因で、入院患者数も約17%減少するなど、負の連鎖が続いていました。自分としては、まずこの経営状態を何とか復活させたいという思いを強く持ちました。
2010年の赴任と同時に、以前の病院で診療して来た金沢市や能登の患者さん、時には福井県の患者さんらの一部が引き続き北中に来て頂けたので、赴任時から外科外来はそれなりに賑わせる事が出来ました。また、砺波医療圏内の全病院・医院などを訪問し、自分が北中に赴任した事を伝え、特に呼吸器外科の患者さんを紹介してもらう事をお願いに回りました。そのような挨拶周りの効果は、比較的早期に表れて、肺癌を初めとした呼吸器外科の患者さんは徐々に紹介してもらえる様になりました。この事は、病院経営においても即効性のある改善に繋がり、2010年の赴任と同時に、前年度までの経営の悪化傾向は反転し、単年度ではまだ赤字ですが、約1億4,380万円の赤字削減に成功し、減少していた入院患者数も即座に上昇へと転じました。
また、赴任初年度から、学術活動もフル稼働させ、初年度に英文論文2編、邦文論文4編、学会発表5件、講演4件などをこなしました。砺波医療圏で唯一の呼吸器外科であるという事を病院のブランドにしようと考え、専門性を内外に示す努力をして来ました。これらの努力の甲斐もあり、収益が増加してきたお蔭で、人件費率を58.3%から54.8%へと少し適正化させる原動力となりました。しかしながら、単年度の経常収支の赤字は続いていました。
2012年に宮元病院長の後を私が引き継いで、8代目の病院長に就任しました。自分が病院長になって、幾つかの改革を始めました。まず、小矢部市民の健康を啓発する目的で、年に1回、小矢部市民健康フォーラムをクロスランドおやべで開催する事を始め、これまでに計13回開催しました。また、ケーブルテレビでは、健康サポート番組を毎月1回1週間放映する事を開始しました。すでに多くのスタッフに出演してもらって講演されています。私もこれまでに3回出演させて頂き講演しました。広報活動として、呼吸器外科をアピールするために、医療情報誌SENSHINには、肺癌に対する積極的な外科治療についてと、肺癌CT検診の有用性についての計2回記事を載せてもらいました。医療情報雑誌La・Santeには、呼吸器外科の魅力と最前線について松本教授と対談した記事を載せてもらいましたし、働けど働けど赤字が膨らむという病院経営の苦境について、福井県医師会長の池端先生と対談した記事を載せてもらいました。
病院経営の改善対策としては、まず空床となっていた1病棟を埋めるために、2013年に療養病棟を開設しました。小矢部市医師会の一部の開業医の先生方から強く反対されましたが、粘り強く説明会を繰り返し開催して、最終的に5階病棟に療養病棟を開設しました。この事で、安定して病棟を埋めてくれる慢性期の患者さんを獲得する事が出来ました。
そして次の経営改善として手掛けた事は、歯科・口腔外科の改革でした。それまでは、日本歯科大学の新潟分校から歯科医が派遣されていたのですが、歯科医師の健康上の理由で不定期に休診されることが多くあり困っていました。富山大学の歯科・口腔外科の野口教授(現当院歯科・口腔外科部長)にお願いして、富山大学から歯科医を派遣して頂く事になりました。日本歯科大学の新潟分校には事情を説明・理解してもらうために、何回か新潟市まで当時の高田事務部長と一緒に足を運びました。歯科の派遣医局が変わった事、療養病棟がうまく機能してきた事などにより、2015年度には約9,000万円の赤字額が減少し、いよいよ経常黒字が目前に迫って来ている事を実感しました。
2016年度には、地域包括ケア病棟を開設しました。それまでは7:1急性期病棟が2つと療養病棟が1つの状態でしたが、7:1急性期病棟は在院日数が短いために、入院治療されてもすぐに退院期日が迫って来て空床が目立つ事が多くありました。地域包括ケア病棟を開設した事で、7:1急性期病棟が1つ、10:1地域包括ケア病棟が1つ、そして20:1の療養病棟が1つという体制となりました。地域包括ケア病棟という亜急性病棟を始めた事でベッドコントロールがやり易くなって、この年から入院患者数が飛躍的に増加しました。前年度より2億8千万円以上経常利益が増加して、病院開設52年目にして初めての経常黒字を出すことが出来ました。この経営のV字回復をスタッフと共におおいに喜んだ1年となりました。
2017年度も病院改革の手を緩めず、手術数が極めて少なかった整形外科を改革するために、金沢大学整形外科の土屋教授を頻回に訪問して、金沢大学から2人の整形外科医を派遣してもらう約束を取り付ける事が出来ました。前任の先生方には、他院での新たな活躍の場について調整を図って、円満に新体制へと移行する事が出来ました。整形外科の派遣医局が変わった事で、整形外科の手術数の増加や、入院患者数のさらなる増加を認め、前年度より約1億3,500万円の経常黒字額が増え、安定した収益基盤が構築された事を実感しました。
2018年には、小矢部市から病院への補助金を取り付ける事が出来ました。小矢部市は市民病院を持っていないため、北中が市民病院的な役割をやってきた事に対して恒常的な補助金を頂けるように、市役所と北中の双方からプロジェクトチームを出して検討を続け、最後は桜井市長と清水とのトップ会談で現在の額の補助金を頂ける事が決定しました。この補助金獲得も病院経営にとっては良い方向付けとなり、2018年度は過去最高の単年度経常黒字額である約4億2,500万円を計上する事になりました。入院患者数も私が病院長を勤めた14年間で最高の人数となりました。
しかしながら、2019年に入ると12月に、あの忌まわしい新型コロナ感染症の拡大が始まり、緊急事態宣言などが発動された影響や、患者さんの病院受診控えなども影響して、最近3年ほど続いていた患者数の伸びに陰りが出てきました。2019年, 2020年は, 入院・外来とも患者数が減少し、一方で北中では新型コロナ感染症の患者さんの入院療養を受け入れないという方針を決めていたため、国からのコロナ補助金も頂けず、2年連続で経常黒字額が毎年1億円以上も減少しました。2021年度も新型コロナ感染症の患者さんの入院療養は受け入れない方針が続き、このままでは経営がジリ貧になると考えて、2021年度には積極的に院内でのPCR検査を行うことを提案したところ、特に検査部のスタッフはその趣旨を理解し、土日、お盆、正月などの休暇期間も返上して、PCR検査を行うことを頑張ってくれました。検査部に引きつられるようにICTや、看護部、事務部のスタッフらも積極的にそれをサポートしてくれました。その結果、砺波医療圏では一番のPCR検査数となり、富山県からはPCRの検査器械をもう1台寄贈してもらいました。その結果、2021年度は1億円以上の病院の収入増加に繋がりました。多くのスタッフが一丸となってPCR検査に注力し、病院経営に大きく貢献してくれた事は、今でも忘れる事が出来ませんし、今でもスタッフへの感謝の気持ちが湧いて来る出来事でした。
2019年から始まった新型コロナ感染症の騒動は2023年5月まで続きました。新型コロナ感染症の患者さんの入院療養を受け入れて来なかった北中でしたが、とうとう2023年1月から入院を受け入れる方針としました。同年5月7日までの4ヶ月強という短期間ではありましたが、入院を受け入れた事に対する国からの補助金約9,000万円を頂く事になり、患者数は減っているのに経常収支額は減少しませんでした。新型コロナ感染症は2023年5月8日から、感染症の2類から5類の扱いとなり、それ以後は、国からのコロナ補助金は一切出なくなり、多くの公立・公的病院は一気に赤字経営に陥りました。北中では、新型コロナ感染症騒動期間の大半において、コロナ補助金を頂かずに来たため、補助金が打ち切りになった後も他病院ほどの大きな打撃は受けませんでした。
新型コロナ感染症騒動のために、2025年問題を忘れかけていたのですが、この2025年問題はコロナ騒動期間中も着実に進行していました。すなわち、2025年には団塊の世代が全員75歳以上になり、世の中の少子高齢化の影響を受けて、現役の働き手は減少する一方であるという、いびつな構造が顕著になって来ました。小矢部市のような地方の小都市では2025年よりもさらに早くその現象が出ていたのですが、コロナ騒動によってそのことに気付くのが遅れてしまいました。人口減少に伴う患者数の減少により収入減少が著しく、それに加えて最近の諸物価高騰やイラン問題により病院の支出は増加する一方であり、病院経営において黒字を出すことが極めて難しくなっています。その結果、2024年度の富山県内の公立病院は全病院が赤字経営に陥ったと新聞に報道されました。公的病院である北中の経営状態も2024年度より急に厳しくなり、それまで単年度で2億円以上あった経常黒字額も2024年度には約5,800万円に、2025年度には約250万円に激減しています。しかしながら、何とか10年連続の経常黒字を出す事が出来た事に対しては、本当に嬉しく思います。一方で、私が退職した後の2026年度の病院経営については、10年連続の経常黒字を出した北中においても、大変に厳しくなって行く事が予想されます。
これらの難関に対して、私達が過去に一丸となってV字回復を成し遂げたあの時の情熱があれば、必ず道は拓けると思っています。池渕新病院長を始めとしたスタッフ全員で頑張って、この試練を乗り越えて頂きたいと思います。そのために、この老兵の私もご協力を惜しみませんので、どうぞ大いにご利用下さい。令和8年4月からは毎週木曜・金曜の2日間、AMの外科外来とPMの手術指導を継続する予定です。
学術的業績は、北陸中央病院に在籍した16年間で、英文論文28編、和文論文36編、学会発表104回、講演42回を記録しました。それらの業績のお蔭で、6つの学会で名誉会員・特別会員の称号を得る事が出来ました。
北陸中央病院での16年間、本当にありがとうございました! 皆さんの長年に渡るお支え、厚いご支援があったからこそ、ここまでやって来る事が出来たと思っています。とても幸せな16年間を送れました。改めて心より感謝申し上げます!
清水 淳三






